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2021年度 共同教化部会(仮称) 総括

カテゴリー: 企画室  共同教化部会  未分類    

2021年度 共同教化部会(仮称)総括

 今年度新たに発足した共同教化部会(仮称)では、発足当初(10月)に掲げた三つの協議テーマ①教区教化とは? ②共同教化とは? ③教化の循環とは? を議論の基底に持ち、毎月の部会議を行ってきた。また、会議での話し合いの積み上げと、論点と課題を整理することを目的とし、部会員の合意のもと、全ての会議の録音と書き起こしを分担し、議事録を毎回作成してきた。

 今年度は部会内で議論することを中心とし、部会の方向性を探ることを主眼においた。それは冒頭に掲げたテーマが、これから当部会が企画・立案していく事業の礎となるからこそ、時間をかけて丁寧な議論をしていく必要性を感じたからである。ここにその議論の全てを記すことはできないが、上記テーマを手がかりとしたその内容は多岐にわたり、且つその一つ一つの課題は教区内一部会の範疇に収まるものではなく、広く宗門全体の教化体制、同朋会運動との関係にまで及び、これらの受け止めについては部会員間でも意見の相違が浮き彫りとなった。このことは、これまで自明のごとく語ってきた「同朋会運動」「推進員」「共同教化」という言葉でさえ、共通した認識があるわけではなかったことが確認できた。このことは、決してネガティブに捉えられるべきことではなく、今後の部会の協議にとってはむしろ、大きな一歩だったと言える。

以下、今年度議論してきた協議テーマ別の概括とする。

教区教化

 教化においては、地区や組は教区のためにあるのではなく、寺は組のためにあるのではない。教区教化は地区や組のためにあり、ひいてはそれが、一か寺一か寺のためにあるものである。この方向性を間違えてはならない。これは、2021年度教区教化研修計画概要に「「出向く教化」という現場のベクトル」という言葉で示され、その内容として「地区や組と連動しながら」「寺院が仏法に出遇う「場」として開かれ続けることを目指すもの」(教区通信68p)と標されている。その核となるのが共同教化部会であり、この方向性(ベクトル)については部会内でも一致するところであった。しかし、では教区が地区や組とどう関わることがうまく連動することになるのか、明確な結論が出たわけではない。これについては、今後教区改編や行財政改革が進められていく中で、広く教区内の方々と一緒に考え、意見交換等を通して引き続き課題としたい。

 これまでの経緯として、当部会の前身である門徒・推進員研修小委員会は、各組で奨励する門徒研修会、推進員教習に対し助成金を出す形でのサポート体制を基本としてきた。また、正副門徒会長が一堂に会し、共に学び情報を共有することを目的として「正副門徒会長研修会」が毎年実施されてきた。当部会でもこの流れを引き継ぎ、とりわけ正副門徒会長研修会について優先的に協議を重ねてきた。

以下、その経緯を記載する。

「組長・組門徒会長研修会」

・当部会の前身である門徒・推進員研修小委員会が主催してきた「正副門徒会長研修会」を、組長と組門徒会長のセットにすることで、僧侶と門徒が一緒に組の教化について話し合う機会を持つことを狙いとした。年度当初に想定していた研修内容は、譽田和人氏を講師とし、京都教区駐在教導時に関わられた、現在の石東組「真宗門徒の集い」の原型になる組教化の経緯をお話いただき、当該組の方からの実施報告を聞くことで、組教化の課題と可能性を班別座談で話し合うことを想定していた。

 この点について協議をする中で、「一つの形の押し付けにならないか?」との指摘を受け、内容について再考することとなった。また「出向く教化と言いながら教務所に集める方法はどうなのか?」という指摘を受け、開催方法についても協議を重ねる中で、「まずはこれまでそれぞれの地域で行われ、大切にされてきた教化の視点を聞かせていただくことをしてはどうか」ということから、各地域を巡回する案が出された。つまり、従来の集中開催型から、分散開催型へ、という試みであった。これは「出向く教化」という教区の方針のもと、出向いていく前段階(これも含めての出向く教化ではあるが)としての位置付けである。

 ただし、今年度事業計画ではそのような形態での開催は想定しておらず、分散開催は将来的に計画していくこととした。そこで今後当部会が(聞き取りのために)巡回するにあたり「この部会が何を目的とし、何のための巡回かを明確にする必要がある」との指摘を受け、今年度の研修会は部会の〝自己紹介〟(所信表明)と位置付けることが確認された。我々が協議を重ねてきた内容に基づいた部会の方針を発表し、共同教化に願われていることについての講義、それを受けての班別座談という内容で当研修会を実施することとした。コロナウイルス感染症対策として、3月10日、11日の2日間に分けて開催し、会場は本山同朋会館を予定していたが、感染状況が改善しなかったことにより今年度は中止の判断となった。

※尚、中止決定後の3月10日、部会議に助言者として譽田氏に出席いただき、長年教化の現場を見続けてこられた視点から、これまでの教化の流れを踏まえ、当部会がこれまで積み上げてきた協議内容、方向性など、概ね理解を示していただき、今後も議論を重ねる中で軌道修正していくことが肝要である旨、論及された。

循環する教化

 また、今年度事業として将来的な出向体制の構築に向けたものとして「出向者養成システム」(仮)という名称のもと「同朋会館嘱託補導懇談会」を計画していたが、前項に記したように、当部会の方針の明確化とその共有を優先したため未協議となった。この点については、部会の怠慢であるとの批判もあるかもしれないが、これは「出向く教化」という言葉を吟味する必要性を感じたからである。つまり、出向いて行って何をするのか?そもそも出向の要請があるのか?という課題を意味する。当然、教区が地区や組の教化に乗り出すということではなく、教化事業の評価や査定のために出向くわけではない。これだけ広範囲な京都教区にあっては、寺を取り巻く環境は千差万別であり、それぞれの地域で行われてきた教化事業もまた多様な形態を持つ。だからこそ、「出向く」というベクトルを持つ際に、決して画一的な教化体制を推進するためではなく、まずはそれぞれの「地域の実情を聞く」ことから始めたい。そこからしか、出向く教化が具現化することはなく、循環する教化を目指す手がかりはない。

 ここで言う「循環する教化」とは、人と場と財がうまく循環していく教化を指している。では一体、〝うまくいく〟ということが具体的にはどうなることなのか、実は誰もわかっていないのではないのだろうか。ただ、何となくうまくいってない気がするのであり、何がどう、うまくいっていないのかもわからない状態にあるのではないのか?これは今年度の議論を経ての、共同教化部会としての認識である。だからこそ、わからないからこそ、とにかく聞くことから始めていきたい。

共同教化

 共同教化とは何か?それぞれ異なる地区や組の環境や状況の中にあって、共同教化の形には〝正解〟という答えは無い。部会協議の中でもそれぞれの個人の教化観は語られたが、共同教化の形についての明確な見解の共有はできなかった。手探りの議論を繰り返す中で見えてきたことは、この手探りの議論自体が共同教化の第一歩であり、安易に答えを出すことなく、わからないところで試行錯誤できる現場が寺であり、その繰り返しが共同教化の歩みであったということである。

 今日まで共同教化はそれぞれの場で、その時代に応じて実践されてきた。それぞれが抱える課題や現状を聞くことで、いまこの時代において求められる教化とは何かを、教区と組、僧侶と門徒、育成員と推進員などの立場を超えて一緒に考えていきたい。それが今年度の共同教化部会の結論である。今年度の部会内での議論は、そのことを確認するための議論であったように思う。それに基づいて、来年度から計画する地域巡回の場で、当部会と現場との対話と関係性が始まることを期待したい。

 最後に、月に一度の会議では時間的制約があるため、まとまった時間の宿泊を伴った会議の企図も試みたが、実現できなかったことは心残りであった。

来年度の展望

 今年度実施できなかった「組長・組門徒会長研修会」の開催。今年11月末日をもって組長任期を迎えることを受け、12月以降の新組長への交代を待って実施することとしたい。1~2月の実施に向け、当部会の方針を部会内で確認共有し、研修会に臨みたい。

その後、年度内に2~3ヵ組の巡回を実施予定。それに備え、巡回組の教化事業や課題について、既出の報告書の確認等、事前学習を同時に始めたい。

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