赤野井別院(大恩寺)
教如上人による東本願寺の別派独立に促されて、教如上人のための新堂建立の計画に至る。地域の篤信者であった了誓・浄恵らの働きかけによって、湖南地域60ヵ寺が同心した結果、現在の赤野井別院が開創されたという。本堂脇に教如上人御廟が設けられているが、上人の遺言による御廟であると伝えるなど、教如上人への深い帰依心が大谷派別院の造営に結実し、隣接する本願寺派別院と並び立つ威容を力強く支えている。
江戸時代の寛文年間(1661~73年)に、本願寺第14代琢如上人の息男恵明院如晴が入寺して、赤野井御坊大恩寺と号するようになった。現本堂は1809(文化6)年の再建で、欅の美しさが特に印象的である。他に、大広間、御殿、庫裡を備え、本堂と共に、地元の大工棟梁の手によるという。その技量の高さは今に語り継がれるほどである。近くには琵琶湖に面して赤野井浜があり、かつては大津、堅田からの船による多くの門徒の参詣を迎えた。
こうして育まれてきた真宗の教えを慕う土地柄にあって、現在は湖南地域の真宗教化センター的役割を果たしている。