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伏見別院

伏見別院は1599(慶長4)年頃、本願寺第12代教如上人によって開かれた。それは豊臣秀吉に代わり伏見城主となった徳川家康に願い出て、伏見に堂舎と寺地の寄進を受けたことによる。

このようにして創建された伏見別院は、時代の変遷を経て、1863(文久3)年、教如上人250回忌にあわせ本堂・客殿・庫裡・正殿・鐘楼などが再建された。

再建された堂宇は、幕末維新の激動が伏見を襲った時にも余波を受け、1868(慶応4)年、鳥羽伏見の戦いには、会津藩兵の宿舎となり、また戦いに勝利した新政府の伏見市中取締役所が置かれたこともあった。江戸時代末期に再建された本堂など堂舎の多くは、老朽化により1989(平成元)年に取り壊された。旧建物で現存していた鐘楼についても、老朽化により2023(令和5)年6月に解体され、現在は梵鐘だけが残されている。 この梵鐘は、1831(天保2)年8月に鋳造されている。幕末の志士坂本竜馬も、この伏見の地(寺田屋など)でその音色を聞いたであろう伏見別院の梵鐘は、幕末以降明治、大正、昭和、平成、令和と時代を経て、当別院の由緒を今に伝えている。

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