本願寺別院大通寺(長浜別院)
1574(天正2)年石山本願寺支援のために建立された「総会所」が基となる。
湖北地域は、本願寺第10代証如上人のころ、湖北10ヵ寺の門徒集団が形成され、湖北一向一揆を担って織田信長と戦った。そうした門徒の長浜町年寄(有力者)たちの惣会所(一揆結集の場)として建てられたのが長浜別院の始まりとされている。
湖北の門徒は本願寺第12代教如上人に従って篤い信仰心を表していた。総会所は1596(慶長元)年長浜城内に移され、1606(慶長11)年、「大阪夏の陣」に向けて徳川家康の家臣である内藤信成の長浜城入城に伴い、城外に移転した。1649(慶安2)年に彦根藩主井伊直孝によって現在の場所に土地を与えられ、長浜御坊と公称され、「長浜の御坊さん」と湖北の人々に親しまれる基礎が築かれた。 現在の本堂は、国の重要文化財に指定されている。また、大通寺は江戸時代を通して、彦根藩(井伊家)と縁が深く、井伊直弼の七女砂千代姫は、大通寺第10代住職の内室であり、そのため大通寺には砂千代姫の調度品が多く所蔵されている。毎年7月には夏中が勤まり、現在も門前に露店がならび多くの参拝者で賑わっている。