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山科別院長福寺

蓮如上人は、吉崎での4年間の活動を終え、1478(文明10)年正月に山科の草庵に移って本願寺の再建に取りかかり、蓮如上人を崇敬するご門徒たちの力の結集により、1483(文明15)年8月に建物の造作を終えた。そして、本願寺を囲むように民家が立ち並び「寺内町」が形成された。しかし、1532(天文元)年、戦国時代の騒乱に巻き込まれ、一宇も残らず炎上した。その後、本願寺は大阪へ移り、以降旧地は荒れたまま放置されていたが、江戸時代になり、第17代眞如上人の時に山科の地に御坊建設が計画され、1736(元文元)年、本願寺旧地に北接して御堂が建立された。

1787(天明7)年には、本堂・客殿・庫裡などが再建され、境内に鐘楼・茶所が設けられた。

現在、境内には、大谷専修学院が併設されており、大谷派教師育成の拠点となっている。 また、別院の南方西側には、蓮如上人の御廟があり、蓮如上人ゆかりの地として多くのご門徒に親しんでいただいている。

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